大腸癌の父との記録とその後の雑記

癌の父親を介護した次女の記録とその後

留学先の台湾から父に連絡が取れないので、

離婚して30年も経過している母親に

「嫌だと思うけど、父に連絡してくれ」と伝えた。

そこで初めて入院を知る。

ビザの延長が出来た当日で、私は台湾滞在の延長を友人と喜んでいたところだった。

 

急転直下の展開とは正にこの事。

 

急遽帰国する事にした。

 

私が泣きながら帰国した頃

父は病室で「娘になんか会うもんか!」と

看護師や医師に宣言していた。

 

私達は30年以上離れて暮らしていたから

その溝は埋まらないかもしれない。

でも、娘が帰って来たら

喜ぶもんだと決めつけていた。

 

親と子としてでなくても、

単に独り暮らしのおじさんが、入院したなら

手続きなど大変だろうから

私が手伝いますよというスタンスだったけど、

父の周りの人たちに会って、

これまでの時間が見えてきた時、

私が母から聞いていた父とは別の人格が見えてきた。

 

とても良いチャンスを与えてもらえた。

これは父と私の最初で最後の2人暮らし。

楽しくやっていこう。

毎日泣いてばかりだけれど。

たくさん笑って父を安心させたい。