大腸癌の父との記録とその後の雑記

癌の父親を介護した次女の記録とその後

父の死を実感する

父が亡くなり兄弟も母親も来ないので、1人で葬式を出し納骨をし仏壇を設置した。

葬儀屋とのやりとりもお寺に出向くのも一応83歳の伯父について来てもらった。

でもホントに彼はついて来ただけで、全部決めて支払いも私なのだから、あの頃妙にテキパキと段取りよく考えて行動できてたと思う。

現金が不足することもなかったし、全て順調に終わって、相続手続きも調べつつすんなり完了した。(大変だったけど)

次は床の腐ったキッチンとタイルの割れた浴室のリフォームだ!と休みなくこなした。

気付けば9月である。

私は昨年9月の末に父が病気だと知り慌てて台湾から帰国した。2週間の隔離を経て父と再開した時は10月17日45キロの骨と皮になった変わり果てた姿の、もう起き上がることもできない父だった。

父の前では泣かず、ずっと敬語で話した。これまで一緒にいられなかった感謝を伝えた。

父は家を買っておいたことを何度も何度も話した。「いつか帰ってくると思ったから、みんなで住める家を用意しておいた」私は帰国してすぐに住ませてもらってたので、「良い家ですね」と何回も何回も言って父を喜ばせた。

30年以上まともに会ってないので、正直に言うと父の事は心配ではあるが、もし彼がこの世にいなくなったとしても私に何も影響はないと思っていた。

弱っていても時々憎まれ口を叩くので、お母さんはこういうところが嫌だったのかな。と思ったりした。

帰国から丁度2ヶ月経ったところで父は亡くなった。

亡くなった時、棺桶に入れた時、火葬した時、泣いたけれど、それよりも次から次へとやることがあったので私本当に悲しんでる暇がなかった。

 

昨日、父の夢を見て

あゝ私この人が死んだことに対して

ちゃんと泣いてないな…と

悲しんでないことを思い出した。

後悔するほど思い出もなく、親だけれど近い存在ではなかったから

どうやって悲しんでいいのか分からず戸惑ってる。

 

ただ死を実感して急激に悲しみが襲ってくる

季節の変わり目ということもあるのか

そっと自分と向き合う秋にしていこう。